MAZDA Le Mans History
Last Updated on Dec.16,1996



予選決勝データ
1970
第38回
40retire1970
ベルギーのプライベートチームよりロータリー初出場
Chevron B16, Mazda 10A 200ps
このレースがモデルとなった、スティーブマックイーン主演の映画 "栄光のル・マン" で、
わずかではあるがこの Chevronの映像を見る事が出来る。
この年、出場 20年目にして初めてポルシェが優勝。
1973
第41回
14retire日本のプライベートチームルマン初参加
SIGMA MC73, Mazda 12A
1974
第42回
27---1974
マツダオート東京がルマン参戦に協力
SIGMA MC74, MAZDA 12A 260ps

155周 規定周回数不足
マツダのルマン挑戦へのきっかけとなる
1979
第47回
57---1979
マツダオート東京からルマン初参加
MAZDA RX-7 252i(IMSA GTO) 13B 285ps 車重 964kg
(クーゲルフィッシャー製メカニカルインジェクション)

マツダオート東京チューンの 13Bペリ/ドライサンプ仕様エンジン
出走 55台のため、予選不通過(完走 22台)

ドライバー   :生沢徹/寺田陽次郎/クロード・ブシェ(フランス)
ボディーデザイン:ムーンクラフト 由良拓也(SA22Cベース)
1981
第49回
51retire
107周
1981
37号車 MAZDA RX-7 253(IMSA GTO)
広島ワークス仕様 13B 300ps(ウェバー・キャブレター) 車重 967kg

この年から東洋工業本社の資金・技術的サポートが開始された。
34周目に2回目のピットインでブレーキキャリパー交換とデファレンシャルオーバーホール。
その後原因不明のミッションケースひび割れが発生しリタイヤ。

ドライバー:トム・ウォーキンショー(イギリス)/生沢徹/ピーター・ラベット(イギリス)
ボディーデザイン:ムーンクラフト 由良拓也(SA22Cベース)
49retire
25周
1981
3837号車 MAZDA RX-7 253(IMSA GTO)
広島ワークス仕様 13B 300ps(ウェバー・キャブレター) 車重 955kg

JUNがメインスポンサー。
スタート後2時間でデファレンシャル・ピニオンの折損で、コースサイドにストップ。
走行不可能となりリタイヤ。

ドライバー   :寺田陽次郎/ウィン・パーシー(イギリス)/鮒子田寛
ボディーデザイン:ムーンクラフト 由良拓也(SA22Cベース)

この年は 24時間ノントラブルで 2位に 14周の差を付けワークスポルシェ 936が優勝。
(ジャッキー・イクス 5勝目)出走 55台、完走 21台。

1982
第50回
50総合 14位
クラス 6位
(282周)
1982
82号車 MAZDA RX-7 254(IMSA GTX) 13B 300ps 車重 960kg
(予選:ルーカス・インジェクション/決勝:ウェバー・キャブレター)

Nikonがメインスポンサー。
レギュレーション変更で、グループC規定が導入され、
市販車ベースのスーパーシルエットカーでの参戦最後の年となる。

ギヤボックスオーバーホール、タイヤのパンク、ガスフィルター目詰まりなど
多くのトラブルが発生しピットインの度に作業が増えた。
ゴール直前にガス欠症状の兆候が発生、チェッカーを受けなければ完走とならない
ルマン規定を考慮し、最終ドライバー寺田陽次郎はコース脇に車を止めてゴール時間を待った。

RX-7での参戦最後の年、初完走を果たす。
また、メカニックにはもっとも健闘したとして ESCRA勝が贈られた。


ドライバー:寺田陽次郎/従野孝司/アラン・モファット(オーストラリア)
ボディーデザイン:ムーンクラフト 由良拓也(SA22Cベース)

53retire
180周
1982
83号車 MAZDA RX-7 254(IMSA GTX) 13B 300ps 車重 976kg
(予選:ルーカス・インジェクション/決勝:ウェバー・キャブレター)

燃料系トラブルでコース上にストップ、リタイヤ。
ドライバー:トム・ウォーキンショー/ピーター・ラベット/チャック・ニコルソン(イギリス)
ボディーデザイン:ムーンクラフト 由良拓也(SA22Cベース)

ワークスポルシェ 956の独壇場となり、1〜3位を独占。
(ジャッキー・イクス 6勝目)出走 55台、完走 18台。

1983
第51回
44総合 12位
クラス 1位
(302周)
1983
60号車 MAZDA 717C(グループCジュニア)
13B 300ps/9,000rpm ボッシュ・インジェクション 車重 780kg

グループCジュニアの最低重量は 700kg(グループC:850kg)
最大燃料タンク容量は 55g(グループC:100g)
燃料補給回数は 26回まで、その他はグループCと同じ車両規定。
燃料規制・・・グループC:2600g/グループCジュニア:1430g

序盤に2度のタイヤパンクが有ったが、その他はほとんどトラブル無しで周回を重ね
初の2台完走、60号車はグループCジュニア部門でクラス優勝を果たす。
昨年に続き、メカニックには ESCRA勝が贈られ、その他多くの賞をマツダが独占。

ドライバー   :片山義美/寺田陽次郎/従野孝司
シャシー設計  :宮坂宏
ボディーデザイン:ムーンクラフト 由良拓也

43総合 18位
クラス 2位
(267周)
1983
61号車 MAZDA 717C(グループCジュニア)
13B 300ps/9,000rpm ボッシュ・インジェクション 車重 789kg

スタート後1時間程でミュルサンヌで右リアタイヤがバースト。
時速 300km/hでのバーストでカウルは1時間の修理時間を要するほど

破損したが奇跡的にサスペンションへのダメージは無く、再スタートする事が出来た。
ゴールを目前にチームは2台にランデブー走行を指示、無事チェッカーを受けた。

ドライバー :ジェフ・アラン/スティーブ・ソーバー/ジェームス・ウィーバー(イギリス)
シャシー設計:宮坂宏
ボディーデザイン:ムーンクラフト 由良拓也

前年の WECチャンピオンカー、ポルシェ 956はプライベートチームへも市販され
ワークスの 3台を含め、11台が出走、1〜8位までを独占した。
たった一つの番狂わせはジャッキー・イクスが7勝目ならず2位になった事であった。
出走 51台、完走 20台。

1984
第52回
33総合 20位
クラス 6位
(264周)
1984
86号車 MAZDA 727C(グループC2)
13B 300ps/9,000rpm ボッシュ・インジェクション 車重 749kg

グループCジュニアのカテゴリーがグループC2に名称変更。
'83年ルマン終了後、(株)マツダスピード独立。

717Cをベースにグランドエフェクト重視の空力的モディファイを加え、
最高速、操縦安定性を向上。

スタート4時間後、フォードシケインでアストン・マーチンと接触し修理に
多くの時間を費やしたがその後の追い上げで翌朝にはクラス2位まで浮上。
ゴール約4時間前、ギヤボックスのメインベアリングを破損、規定周回数はクリアしていたため
ファイナルラップにコースインし、チェッカーを受けた。

ドライバー:寺田陽次郎/従野孝司/ピエール・デュドネ(ベルギー)

43総合 15位
クラス 4位
(290周)
1984
87号車 MAZDA 727C(グループC2)
13B 300ps/9,000rpm ボッシュ・インジェクション 車重 751kg

左サスペンションのトップロッカーアームを破損するなど
多くのトラブルが発生、24時間の内2時間はピットストップに要した。


ドライバー:デイビット・ケネディ(アイルランド)/J.M.マルタン/P.マルタン(ベルギー)

グループ C燃費規制変更に異議を唱えたワークスポルシェは、この年の出場をボイコット。
フロントローは 2台のランチア LC2が奪ったが、終わってみればヨーストポルシェ 956が優勝。

マツダスピードは2年連続のクラス優勝は出来なかったが、アメリカから参戦した
ローラ T616 MAZDA(13B搭載)は、319周を走りC2クラス優勝。
出走 53台、完走 22台。

1985
第53回
40総合 24位
クラス 6位
(263周)
1985
85号車 MAZDA 737C(グループC2)
13B 300ps/9,000rpm ウェバー・インジェクション 車重 737kg

燃料規制・・・C1:2210g/C2:1430g
この年をもってC2クラスでの参戦を最後とした。

外観は 727Cとあまり違わないが、操縦安定性、モノコック剛性アップ、
ボディカウル軽量化など細部にわたるまで改良は無数。

ルマン以前のテスト段階から問題が発生し、参戦車両を組上げるのに精一杯の状態だった。
スタートわずか 10周でエンジンオイル漏れ、修理に2時間40分を要し、早くもC2優勝の
可能性は消えた。徐々に順位を上げたが、午前2時、インディアナポリスでトラブル停止、
ドライバー寺田陽次郎がメカニックの助言を受けながら1時間半掛けて修理。
(規定によりコース上ではメカニックは手を出せない)

ドライバー:片山義美/寺田陽次郎/従野孝司

44総合 19位
クラス 3位
(282周)
1985
86号車 MAZDA 737C(グループC2)
13B 300ps/9,000rpm ウェバー・インジェクション 車重 751kg

スタート8時間後にはC2クラストップに立った。
ゴール約4時間前、ギアボックスのベアリングが破損、
修理に1時間半近くを費やし、クラス2位に1時間以上の差をつけていたが後退。
ゴール直前までピット待機、かろうじてチェッカーを受けた。
'83年から6台全てのC2車両が完走しているが、不本意な内容が続いた。

ドライバー:デイビット・ケネディ(アイルランド)/J.M.マルタン/P.マルタン(ベルギー)

ワークスポルシェは、962で参戦したが総合3位、ヨーストポルシェ 956が前年に続いて優勝。
ランチア LC2:6位、ジャガー XJR5:13位、トヨタが初参加総合 12位で完走。
出走 49台、完走 24台。

1986
第54回
29retire
10時間
(137周)
1986
170号車 MAZDA 757(IMSA GTP)
13G 3rotor 450ps/9,000rpm EGI 車重 811kg

3ローターを投入、車も新規開発の 757になり、IMSA GTPクラスで参戦。
ギヤボックスはポルシェ 962用を採用。

171号車がリタイア後も順調に回周を続け 20位前後で安定して走行していたが、
大事を取りシフトアップポイントは 7,800rpmから 7,500rpmへ落としていた。

しかし、スタートから約 10時間経過した午前1時46分、
やはりメインドライブシャフトの破損でリタイア。
マツダスピードは 1981年以来、5年ぶりに全車リタイアの結果に終わった。

ドライバー:D・ケネディ/マーク・ギャルビン(アイルランド)/P・デュドネ(ベルギー)

25retire
4時間
(59周)
1986
171号車 MAZDA 757(IMSA GTP)
13G 3rotor 450ps/9,000rpm EGI 車重 811kg

25番グリッドからスタートし、着実に順位を上げ3時間経過後には、
12位まで追い上げていた。

あと2周でドライバー交代のピットインをするという 59週目
インディアナポリスコーナー進入のシフトダウンの際、後部に軽い衝撃が有りエンジンストール。
寺田はコーナーを慣性で抜け、グリーンでマシンを止めた。

エンジンは始動するが、クラッチを繋いでも走らない
・・・・メインドライブシャフトの破損と判明、リタイア。

ドライバー:片山義美/寺田陽次郎/従野孝司

メルセデスが本格的にル・マンに復帰。日産もグループCカーを投入。
ミュルサンヌコーナーが変更され、コース全長が 13.626kmから 13.528kmへとわずかに短縮。
出走 55台、完走 19台。






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