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D3 Company

いつまでも色あせる事なく・・・『 新井義春 Digital (新井義春 デジタル)
D3 Company

D3 Company 』や『 D3 カンパニー 』などで検索しても、既にその存在が無いので詳細が
わかりません。ネット上に無ければ、私の様な者は調べようが無いと言う事でもあります。

ところが、です。
自分で持っていた資料の中に、情報が有りました。見過ごしていた様で、完璧にアホです。

以前D3 Company 』や『 POLO 』が何処に有るのか(有ったのか)が、わかった と書きましたが、
この資料の存在に気づいた訳です。

D3 Company 』は『 田辺エージェンシー 』の
ビル内に有ったんですね。


グループ会社と言う位置ですから、繋がりが強いハズです。当時の色んな番組で、両社が一緒にクレジットされている事が多いですが、やっと理由がわかりました。。。。。私だけ?

場所は変わっていませんが、現在のビルは立て替えられていて、『 D3 Company 』が有った頃とは異なる様です。

QUE 1 』の店内撮影や、『 深夜劇場 』でも使われていた
POLO 』も載ってます。

この当たりは ストリートビューで何度も散歩 していますが、
POLO 』の有った場所は、建物自体が変わっているのか、
あるいは、ビルの最下層( POLO の有った場所 )だけ改築されているのか、今ひとつわかりませんが、私は後者だと思います。

Triangle Blue 』などの『 深夜劇場 』でよく使われた『 101 』と言う店は既に有りませんが、建物は健在です。

ストリートビューを 2009年 までさかのぼると、『 101 』の看板は見る事が出来ますが、営業はしていなかった様です。

可愛かずみ vs 泉谷しげる 』の中で、『 田辺エージェンシー 』と『 D3 Company 』の話しが混在する部分が有り、ずっと不思議に思っていたのですが、謎が解けました。


ようやく何処に有ったのか わかっただけですが、それでも私にとっては『 新井義春 』氏や
D3 Company 』に少し近づくことが出来た様な気がして、嬉しい様な、せつない様な。

wikipedia田辺エージェンシー 』ページの最後に『 旧公式サイト 』アーカイブへのリンクが有り、『 会社概要 』まで進むと『 株式会社 ディー・スリー 』の記載が有ります。
存在した証です。 ・・・・2023年6月 現在、『 旧公式サイト 』は無くなっている様です。

D3 カンパニー 新井義春 多田羅敬二 田辺エージェンシー 近場ロケ

第1作 台本には出て来る二人ですが、

第01作(涙の Seaside Cafe Terrace)/ 石野 真子(1988年 1月1日)

久々に『 季節はずれの海岸物語 』です。
なぁ~~にか、ネタはないかと考えている、、今日このごろ・・・。

第1作 にはドラマの始まる前と、後ろに、『 トーク 』の時間が設けられており、
田原俊彦今井美樹 が出演していました。

台本では、 <スペシャルゲスト>として、
 『 響子 - 池上季実子
 『 龍之介 - 田原俊彦 』の記載が有る事は 前に書いた通りです。

この <スペシャルゲスト> って、
トーク 』の、っと言う事ではなくて、
ドラマ 』の、<スペシャルゲスト> って言う
意味でした。

台本を見返して今さらながらに気づいたのですが、
この二人、ドラマ本編に出ていました。

正確には、、、実際のオンエアには出て来ませんでしたが、台本では普通に出演者でした。

龍之介 』と『 響子 』の、
圭介との会話シーンが台本には有ります。

私の勝手な想像ですが、
この当時 トシちゃん は『 Triangle Blue 』にも出演していましたから、そう言うノリの延長だったのかも知れません。『 D3 Company 』も共通ですし。
 
でも、実際には、、そんな簡単ではなかった??

結果として二人はドラマ本編には出演していませんでした。
かなり短期間で撮った第1作ですから、スケジュール的にダメだったとか?

更に、撮影場所が限定されているので( POLO )、別撮りも難しいですよね。それで、別撮りが可能な『 トーク 』(スタジオ)への出演だったのかも知れません。

で、台本から二人と圭介の会話部分を全て削除すると、オンエアされたこの映像となります。


台本と本編映像を見比べて初めてわかった、どこにも書いてない35年越しの真実でした。
もっと速く気づけや!

季節はずれの海岸物語 片岡鶴太郎 可愛かずみ 石野真子 Seaside Cafe Terrace

季節はずれの・・PD

12月 7日は 『季節はずれの海岸物語』のプロデューサー 新井義春 氏の命日です。
( 2011年 12月 7日 逝去 )

去年のこの日は、第1作の台本に有った
D3 Company 』からのメッセージを紹介しました。

あれからもう1年です。
あっという間で、速いなぁ~っと、思うばかりです。
でも、でも、何も無かった訳ではなく、
私は新型コロナにも感染し、かなりいろぉ~んな事が有りました。

なのに、1年なんてアッと言う間、あなたもそう思ったら、感じたら、歳をとった証拠です。
その速さは、毎年、グイグイ加速して行きますよ。これからの1年はもっと速く感じます。

今年は、『 第2作 』の台本、表紙をめくった、最初のページです。
D3 Company 』つまり、新井さんからのメッセージです。

前回も書きましたが、
第3作 』以降、私の持っている台本には、この様なメッセージ、ページは有りません。
第1作、2作だけに有ります。

たぶん、、、この時点では、
更に続編、第3作以降が有るとは思っていなかったのではないでしょうか?

それは『 第2作 特別編( NG集 )』が作られた( 放送された )事でわかります。
この中で、わざわざ第3作の制作告知をしていますからね。

今日は午前中に4回目のワクチン接種をして来ました。
通知は10月だったかな?、に来ていましたが、8月に陽性となっているので、3箇月以上経たないと受ける事が出来ない、、で、今になりました。何時まで続くんでしょうか?

いつまでも色あせる事なく・・・『 新井義春 Digital ( 新井義春 デジタル )

D3 カンパニー 新井義春 多田羅敬二 田辺昭知 田辺エージェンシー

第1作 出発/原点

第01作(涙の Seaside Cafe Terrace)/ 石野 真子(1988年 1月1日)

季節はずれの海岸物語』重箱の隅つつき。懲りずに隅を、つつきます。
全シリーズの最初の放送は 1988年 1月1日 深夜( 23:45 ~ 25:15 )でした。

私は残念ながら、、、たぶん、リアルタイムでは見ていません。

前回の書き込み『 スペシャルゲスト 』の時に『 びんびんシリーズ 』に掛けて、と、書きましたが、
当時 CX で これらのドラマに共に関係していたのは『 亀山 千広 』氏です。

第1作 台本からスタッフ一覧を抜き出してみました。

どうして『 D3 Company となる訳ですが、休む事無く放送が続く年末年始のドタバタ時期、その深夜帯、あまり金も掛けられない、、、っと、
なると・・・・

当時、深夜枠のテレビ番組では
オールナイトフジ 』の仕掛け人でもあり、
他局も含め多くの実績が有る
新井義春 』となったのでしょうか?


彼と一緒に『 Triangle Blue 』も手掛けていた『 秋元 康 』氏、更に『 遠藤 察男 』氏、出演者では『 鶴太郎 』さん( オールナイトフジ )や、『 かずみ 』さん( Triangle Blue )が起用されているのも自然な流れなのかも知れません。

第1作の都内ロケ地の多くは、まんま Triangle Blue と同じですし、経費最小限ですよね。
今となっては、すげぇ~~なぁ、って言う面々ですが、みんな若くて我武者羅に頑張っていた時代、
そこが『 季節はずれの海岸物語 』の原点です。もう 35年 も前の事です。

 ・新井義春 Digital新井義春 デジタル

第1作 ここも都内、近場ロケ

第01作(涙の Seaside Cafe Terrace)/ 石野 真子(1988年 1月1日)

季節はずれの海岸物語』重箱の隅つつき。懲りずに隅を、つつきます。
最終回まで ブログを書いて来て、この話題だけでも 10年近く引っ張って来ました。

その長い間に、最初はわからなかった事が、はっきりわかった事、新たに知った事、たくさん有りました。それは ドラマを作ってくださった方々にまで 広がります。

これ程長く続けられるとも思ってもいませんでしたし、何よりも、たくさんの方々のご協力で
全14作をきちんと纏める事が出来て、全て観る事が出来て、楽しむ事が出来て、とにかく感謝有るのみです。大変ありがとうございました。

でも、でも、画質、音質の更なる向上はあきらめません。工場は、止めません。
止めたら、そこで終わっちゃうじゃないですか!

とは、言っても、自分的には、プチ燃え尽き症候群的な感じも、しないでも、、ないのですが、
ネタ探しをしながら、また、ぼちぼち行きます。

最終回で、結構ロケ地めぐりをしましたが、第1作まで
戻って、再度、ロケ地ネタです。

第1作に戻りましたが、この先も 2、3作と、順に行くかどうかはわかりません。

これが2周目かどうかもわかりません。
気分と、ネタの有無次第です。

今回はこのトンネルです。

ここは 第3作、第4作でも出て来ます。私は鎌倉とか、湘南エリアに有るものとばっかり思っていましたが、『 D3 Company 』 恒例? の、いわゆる 近場ロケ でした。

 第1作ではこのシーンで出て来ます。


QUE 1の店内撮影 は、都内『 D3 Company 』の道の反対側『 POLO 』で行われ、このドラマでは一番の近場でしたが、それに次ぐ2番目の 近場ロケ です。。。たぶん。

最初に『 トンネル 』と書きましたが、正確には『 』です。元々は『 水道橋 』として生まれた
歴史有る物だそうで、渋谷に有る『 西郷橋 』と言う所です。

西郷 』とは、歴史上のあの人物に関係が有るそうですが・・・。
橋の上、下、横、更に周辺一帯が、驚くほど多くのドラマで使われる超有名ロケ地みたいです。
私は知りませんでしたが、これも 麗しの渋ちゃん が教えてくれました。

おまけですが、、、
上の動画の最後に、この 石垣 の有る道が出て来ます。私はこの場所に見覚えが有ります。

何処の何丁目までは調べていませんが、
ここは『 Triangle Blue 』で何度も出て来ます。

第1作のほとんどは都内で撮影されましたが、『 D3 Company 』が『 Triangle Blue 』当時から知り尽くした場所をロケ地として使い、ドラマを完成させた事がわかります。

季節はずれの海岸物語 片岡鶴太郎 可愛かずみ 第1作 ロケ地 近場ロケ

季節はずれの・・新井義春 氏

12月 7日は 『季節はずれの海岸物語』のプロデューサー 新井義春 氏の命日です。
( 2011年 12月 7日 逝去 )

新井義春 氏が手掛けた作品の一つでもある
Triangle Blue 』を YouTube にアップしています。
今現在、20本以上になっていますので、懐かしぃ~~って方は是非ご視聴ください。

まだ、たっくさん有る、って言う訳ではないですが、
更にアップする予定です。

話しは変わり、、
ドラマの台本って言うと、いわゆる『 関係者 』しか見る事は出来ませんでした。
『季節はずれの海岸物語』が始まった時代(1988年)も、そうでした。

ネット環境が飛躍的に発達した現在では、そう言うレアな物までが市場に出て来る様になり、
ファンにはありがたいです。全て揃っていないのですが、必死に集めました、集めています。

そんな台本にしかない、1ページを紹介します。
なので、テレビを見る側の我々は、本来、知らないものです。『 第1作 』の台本からです。

表紙をめくった、最初のページに有ります。
D3 Company 』と有りますが、つまり、
新井さんから この台本を持つ『 関係者 』へ向けたメッセージですよね。

私はこのページを見る事が出来て、とても嬉しく思います。
第2作 』の台本にも別の言葉が有りますが、、、、それは いずれ また・・・
第3作 』以降、私の持っている台本には この様なページは有りません。

いつまでも色あせる事なく・・・『 新井義春 Digital (新井義春 デジタル)
D3 Company で 新井さんと一緒に仕事をされていた 保母浩章 氏が先月亡くなりました。
ご冥福をお祈りいたします。

D3 カンパニー 新井義春 多田羅敬二 田辺昭知 田辺エージェンシー

第14作 COCO PALMS

第14作 ~いつも海があった~ / 松田 聖子 & 可愛 かずみ(1994年 10月13日)
季節はずれの海岸物語』重箱の隅つつき。懲りずに隅を、つつきます。

すぐに書いておかないと忘れて、書きっぱなし、、、になっても仕方ないので、クイズ の答えを書いておきます。クイズで出した場所は、第14作 最終回で 優香子が働いていたコンビニ です。

ストリートビューは広角、ドラマは望遠、
なので違った印象になってしまい、まるっきり同じアングル、景色と言う訳にはいきませんが、
建物の特徴的な 丸い柱 が目印になりますね。

圭介、和彦が隠れていたシャッターの有る建物、
横断歩道、カーブミラー、黄色の点字ブロック、、
疑う余地が有りません。

置いてある車は三菱車(パジェロ エステートワゴン)の様に見えなくもないのですが、スポンサーへの配慮か?、何かの目隠しのためか?、本当に何なる偶然(それは無いな)か?

ただ、ストリートビューは 2009年、ドラマは 1994年、時代が違うので、全く同じではないです。
それと、『 COCO PALMS 』と言う店名は、クレジットされていませんし、検索してもそれらしき物にはヒットしませんので、架空の店舗で、実名は違ったのかも知れません。

ここは、都内『 港区 北条坂 』に有ります。(有りました)
夜、優香子が買い物に行くシーンなどでも使われていますが、 ここなら D3 Company からも近く、
D3 が控え室として使えたり、都合が良かったのかも知れません。

良く出て来る『 近場ロケ 』ってヤツです。。

ストリートビューをタイムマシンの様に使うと、
2015年 6月 に、丸い柱の建物が解体されている事がわかります。

そして、現在の景色 に変わってしまいます。
時の流れです。
現在のストリートビューだけでこの『 ロケ地 』を探し出すのは、ほぼ不可能でしょう。

季節はずれの海岸物語 Blu-ray DVD 片岡鶴太郎 可愛かずみ 第14作 ロケ地 近場ロケ

QUE 1 POLO

季節はずれの海岸物語QUE つながり、、、

QUE 1 』の『 PLAGE SUD 』は広く知られていますが、その他にも『 POLO 』と言う店が
1作から4作までの店内撮影で使われている事は何度か書きました。
 ・第1作、第2作 初代 QUE
 ・第3作 インディアン嘘つかない
詳細がやっとわかりました。

とっこちゃんに逢いたい 16 』で、『 Triangle Blue 』と『 季節はずれ 』で同じ部屋が使われている事を書きましたが、この『 POLO 』と言う店も両方で使われていました。

Triangle Blue PART2 』と
季節はずれの海岸物語 』1作、3作からの
店内映像です。

同じアングルではないですが、同じ場所と言うのはわかりますか?
この店は 目黒区青葉台 に有った『 D3 Company 』のすぐそばでした。
(目黒区東山1-3 付近/現在は無い)

都会の真ん中、山手通り(環状6号)に面した場所ですから、湘南の、海辺の喫茶店と言う
QUE 1( 外観 PLAGE SUD )』のロケ地としては 苦労が多かった事でしょう。

窓の外側には、都会の風景が有りますので『 季節はずれの海岸物語 』では間違ってもブラインドを開ける事は出来ないです。

Triangle Blue 』は都会のロケーションだし、『 D3 Company 』のすぐそばだし、、
都合が良かったんですけどね。

D3 カンパニー 新井義春 多田羅敬二 田辺エージェンシー POLO

新井義春の企み 6(最終)

いつまでも色あせる事なく・・・『 新井義春 Digital (新井義春 デジタル)
新井義春の企みNo.6



 週刊 平凡パンチ 1984年 10月1日号No.1028
 デジタル化、全6ページ中の6枚目 、最終回です。



新井義春の企みNo.6
この6枚目に私の知りたかった事の一部が集約されています。
  昭和 24年(1949年)10月12日
  新潟市 生まれ
1984年 3月 31日 フジテレビ退社
1984年 4月 1日(この時 34歳)
  D3 カンパニー 代表(創設
年の特定は 1984年 10月1日号
 記事なので、そこからの憶測です。
 間違っていたら、すみません。



季 節 は ず れ の 海 岸 物 語
プロデューサー『新井義春』って?
D3 Company新井義春』って?
新 井 義 春 』 っ て 、 だ れ ??
・・・そこから始まりました。
調べても何も見つかりませんでしたが、
検索でヒットする物が格段に増えました。

自分がやっているのに何ですが。。。 [:にひにひ:]
 ・新井義春への 糸
 ・やっと見つけた『新井義春』
D3 カンパニー 新井義春 多田羅敬二 田辺エージェンシー D3 Company

新井義春の企み 5

いつまでも色あせる事なく・・・『 新井義春 Digital (新井義春 デジタル)
新井義春の企みNo.5



 週刊 平凡パンチ 1984年 10月1日号No.1028
 デジタル化、全6ページ中の5枚目です。



新井義春の企みNo.5


季 節 は ず れ の 海 岸 物 語
プロデューサー『新井義春』って?
D3 Company新井義春』って?
新 井 義 春 』 っ て 、 だ れ ??
・・・そこから始まりました。
調べても何も見つかりませんでしたが、
検索でヒットする物が格段に増えました。

自分がやっているのに何ですが。。。 [:にひにひ:]
 ・新井義春への 糸
 ・やっと見つけた『新井義春』
D3 カンパニー 新井義春 多田羅敬二 田辺エージェンシー D3 Company