月別アーカイブ: 7月 2023

結婚しようよ、、、の、ロケ地、今

結婚しようよ < 2008年 2月2日 公開

菊島 家 』周辺では、撮影後に高速道路の建設が有り、ロケ地のほとんどは消滅しました。

でも、今も変わらず、存在する場所が1箇所だけ
有ります。

背景に写り込んでいる家とか、風景とか、、、
そう言う事ではないです。
 
 
地図データを更新していない、古いカーナビを
持っています。
ロケ地付近の、たぶん撮影当時の頃の地図と思われる物と、現在の写真を並べてみました。

古い地図に『 北関東自動車道 』が通るであろう あたりに『 線 』を入れてあります。
元々有った『 道 』が、どんな具合に消えたのか、、が、わかります。こう見ると、家の無いスペースに高速道路を通している事が良くわかります。

当時の地図にも『 菊島 家 』らしき『 家 』は有りません。既に空き家だった事は映画のパンフレットにも記載が有ります。『 地図にも無い家 』をホントに良く探し出しましたよね。

地図の中に 印を付けておきました。
今も、撮影当時も共通して存在し、映画の中でも出て来る『 』です。

 上が 2006年11月13日
 下が 2006年12月 1日 のロケで撮られたものです。

約2週間で木々の色がすっかり変わっています。

昔は『 一本道 』で重要な役割を果たし、『 田畑 』が両側に広がっていましたが、今はその『 田畑 』も
』も、使われていない様です。

高速道路の副産物『 側道 』が生活道路になっているみたいです。

映画と同じアングルでは撮れませんが、同じ場所の、現在の写真です。
電柱の場所(位置)は変わっていないので、比較する目印になります。


映画の映像では奥に『 』が2箇所映っていますが、ギリギリ高速に掛からず、今も有ります。

木々が生い茂り、二つの橋を一緒に入れるのは難しいです。冬になって、葉が落ちたら、もしかしたら入るかもしれません。が、、昔の様には、整備されていない様です。

奥の橋を渡り、高速道路の側道へ出て、『 菊島 家 』の有った方を見上げる様に撮すと、
こんな写真になります。ゆるやかぁ~な上り坂です。後で書きますが 、これ、ポイントです。

最初の『 現在 』の写真の中に 矢印 を入れて有りますが、そこから撮ったものです。

突き当たり、側道の無くなるあたりに
菊島 家 』が有ったハズです。

きっと高速道路が出来た事で、景色、環境が激変してますよね。

Asmic さんちの横を『 東北自動車道 』が通った時もそうでした。
子供の頃、駆け回り、春にはレンゲが一面に咲いていた、田畑は、永久に無くなりました。
これも時代の流れです。

佐々部清 三宅裕司 真野響子 藤澤恵麻 金井勇太 中ノ森文子 岩城滉一 モト冬樹 松方弘樹 入江若葉
結婚しようよ 映画 ロケ地

GORO ピンナップ 1986-1023a

いつまでも色あせる事なく・・・『 可愛かずみ Digital (可愛かずみ デジタル)
GORO ピンナップNo.6


GORO 』付録ピンナップのデジタル化 6枚目です。

GORO1986年 10月23日号 のピンナップです。
(撮影:篠山紀信
 
 
この号のピンナップは両面が かずみさんです。
なので、どちらが表なのか裏なのかわかりません。
なので、『 a 』を付けてみました。
まずは、この面。

かずみさん、22歳の頃。
『 季節はずれ・・・ 』は、まだ始まっていません。 
 
 
珍しく『 GORO 』本誌も持っている号だったと
思います、、、たぶん。

前回のアップ から1年以上も時間が空きました。
ブログを WordPress に変えてからの初めての『 GORO ピンナップ 』です。
あぁ~~、こんな事もやっていた、、、っと、思い出したりして・・・

※画像にはロゴを入れたり、わざとサイズを小さくして掲載しています。
 傷や文字を消したり、つなぎ目を修正したり、技術と手間と、少しの愛情が必要となります。
 著作権の有る画像を商用利用されるのは困りますので、この様な掲載方法にしています。
 転載、販売など、いかなる二次利用もご遠慮下さい。

菊島家は、、ご近所だった

結婚しようよ < 2008年 2月2日 公開

結婚しようよ 、の、菊島家は、、、実は、Asmic さんちのご近所なんです。


直線距離では 10 km くらいでしょうか? 道のりでも 15 km くらいかな?

30分も掛からない 場所です。仮に、うちの横から高速に乗れたとすれば、わずか数分。

菊島家 を通りこして、更に高速を 30分 くらい行くと、
767B の『 Garage Star Field 』が有ります。


うちの前に『 北関東自動車道 』と言うのが有るのですが、その高速道路の建設のために取り壊されたのが、
菊島家 』のロケ地です。

行ってみると、その付近には何の痕跡も残っておらず、
映画に写り込む背景から勝手に想像すると、こんな位置関係でしょうか?


一番上の様な写真を撮ろうとしても、撮れません。

広角で撮ってますが、広角でないと山が入らないし、
広角だと、遠くの物はより遠くへ行ってしまうので、同じ様な絵にはなりません。

もっとさがって撮りたくても、高速道路が有るので、
これ以上さがれません。


試しに、高速道路の上からストリートビューを見ると、こんな具合になります。

そこまでさがれば、一番上の景色に近づきます。
確かに、ここに 菊島家 は存在しました。

佐々部清 三宅裕司 真野響子 藤澤恵麻 金井勇太 中ノ森文子 岩城滉一 モト冬樹 松方弘樹 入江若葉

結婚しようよ、、、の、菊島家

結婚しようよ < 2008年 2月2日 公開

主人公の 香取 卓 夫婦、長女の 詩織、次女の 歌織、卓 のお客さんである 菊島 夫婦の話しが複雑に入り混じり、引っ越し後の 菊島 家 はなぜか重要な場所となります。

菊島家とは家族ぐるみを越えた付き合いにまで発展し、単純に考えると、んなぁ~事は、普通は
ねぇ~べなぁ~、なんですが、映画ですから・・・。


菊島 家は、台本には
1本の道を登った坂の上にあり、山に囲まれ裏山からは清水が湧いている、趣き深い空き屋 』と描写されているそうです。

映画のパンフレットには、ロケ地を探すのに総動員で1ヶ月以上も探しまくり、大変苦労した事も書かれています。

まんま台本の通り、、、とは行きませんが、家の前には洗い場(小川?)と思える水場(本物)も有り、
裏には井戸(たぶんセット?)まで有って、良く見つけたなぁ~って、田舎に住んでる私でも思います。

しかも、
時間的なタイミングが少しでもズレていたら、高速道路の建設でこの家は存在していませんでした。

ただ、子供の頃に、実際にこう言う家に住んでいた私には、現実味がイマイチ不足します。

上の写真の状態では、雨漏りが激しくて、まともに住めません。南側(家の前側)でこの状態なら、裏(北側)はさらに傷んでいます。。。私の経験上。 こうなる前に、屋根には手を入れます。

『 古民家 』を強調するために、あえて手を入れないと言う考え方も有りでしょうか?
書くネタを維持するため、追々そんな所まで突っ込んで行きましょう。

佐々部清 三宅裕司 真野響子 藤澤恵麻 金井勇太 中ノ森文子 岩城滉一 モト冬樹 松方弘樹 入江若葉

人生を語らず・・・今はまだ

結婚しようよ < 2008年 2月2日 公開

歌織&スリーキャンディーズ がなぜここで歌っているのか わかりませんが、途中から聞き慣れた
拓郎さんの歌声に変わります。『 人生を語らず
私は拓郎さん以外の方が歌っているこの唄を、たぶん?、初めて聞きました。


歌織&スリーキャンディーズ でフルコーラス聞きたかったのですが、残念な気分でもあり、、

むかしは、何百枚、、は、オーバーとしても、まぁ、そのくらいたくさんのレコードを持っていましたが、就職も有り、何度か引っ越す度に、次第にその数も減り、結局すべてのレコードを処分してしまいました。CD に切り替わる時期でもあって、無くても良いやって・・・。

それは かぐや姫forever 』に至るまで例外なく
全てなくなりました。

っと、、、、自分では思っていたのですが、

なぜか、この1枚だけ残ってました。
もう50年も前の物ですよ。
ポスターも何も無いのですが、この1枚だけ。。

今どきレコードは有っても、プレーヤーも無いので、回す事は出来ないのですが。
なんで、有ったのかね??

それが、この映画の中で再会、、、ライブハウス『 マークⅡ 』に飾ってありました。
自分的には鳥肌ものでした。このサイズの『 レコード ジャケット 』って、やっぱり良いよね!
真似して、、飾りたくなっちゃうよ。

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FD3S 想定の範囲内?

Asmic FD3S < GF-FD3S 5型/1999 Type-RS

予想通りでは有るものの 、、、私の場合に限っては、QBE7 は無意味でした。

走っている最中にゴロッと落ちるものと
想像?、予想?、思って?、いたのですが・・・

それすらもなく、
何もしないうちに、気づいたら剥がれてました。

車は 1 mm たりとも動かしていません。

8日(土)に、オイル交換に行きましたが、それ以前にこうなってました。

想定の範囲内ではあるものの、見事すぎです。ジタバタせずに、新しいスタンドに変えます。
新しいスタンド でもこうなったら笑うしかないですが・・・

FD3S オイル交換 101,037 km

Asmic FD3S < GF-FD3S 5型/1999 Type-RS

8日(土)に おかぁ~ちゃんデミオ の点検( パック de メンテ )が有ったのですが、
それに便乗して Asmic FD3S のオイル交換をして来ました。
  
  前回も書いた通り、
  乗ろうが乗るまいが、半年で交換 です。

  前回の交換からの走行距離
  101,037 – 100,825 = 212 km
 
純正オイルの規格がいつもの『 SN 』から
SP 』になってました。街乗りではスラッジコントロールの向上に期待?

伝票の通り、フィルターは交換してません。『 オイル交換だけで良いっすよ~ 』な、感じ。
このくらいだと(値段)、手間と、廃油処理などの事を考えると、自分でやるより良いかも?

まぁ、おかぁ~ちゃんデミオ の点検が有るから、行かないと、、、に便乗ですけど。
そう言うのがないと動かないオヤヂぃ~だったりしますから、自分にムチ打つには丁度良いです。

とっこちゃんに逢いたい 40

季節はずれの海岸物語』とっこちゃん、つながり、、、
本日 9日、今年もまた鶴太郎さんの書で『 は っ ぴ ぃ ば あ す で い 』です。
可愛かずみ さんの誕生日(1964年 7月9日)です。


昨年の同じ日に、サイン色紙を紹介し、それまでに上げたサインのページも並べていましたが、   
それでも紹介しきれていないのも有りますので、続きです。

たぶん、これはまだアップしていなかったと思うのですが、
正直な所、自分でも わからなくなっています、です。
他にもまだ有ったかな?

かずみさんが二十歳の頃のサインですね。
まだ『 季節はずれの海岸物語 』も始まっていません。

あまり状態が良くありませんが、裏を返せば、それだけ年数も経っていると言う証です。

最近、時間の流れが特に速く感じるのと、集めて来た膨大な
アイテムの数々、、、、さて?、っと、思います。

時の流れは何ともしようがありませんが、これから未来の有る孫の代には、平和で思いやりの有る
時代が続く事を願うばかりです。世界中のみんなが、笑顔であって欲しいです。

やっぱり、いくつになっても - とっこちゃんに逢いたい - なのです。

歌織&スリーキャンディーズ

結婚しようよ < 2008年 2月2日 公開

歌織(中ノ森文子)のバンドがライブハウスのオーディションを受けに行きます。
そこでオーナーに気に入られて合格となるのですが・・・。

そのオーナーが、学生の頃に 歌織 の父、香取 卓(三宅裕司)と一緒にプロを目差していた
榊 健太郎(岩城滉一)だった。


そのライブハウスは、卓 と 榊 が、ツインボーカルで かつて歌っていた場所であり、
二人の後輩、丸山 勉(モト冬樹)と、歌織 の母、幸子(真野響子)も そこでバイトをしていた。

榊 は夢を捨てられず、自分たちが歌っていたライブハウスのオーナーになっていた。

歌織 の歌と、演技が素晴らしいです。演技と言うより 歌織 = AYAKO なキャラクターで、
自然にハマッタんだと思います。佐々部監督の思惑、期待通りだったと言う事でしょう。
三宅裕司真野響子 のプロの役者も、たじたじな感じです。

< ここに出て来る Gibson J-200
実際に『 神田カワセ楽器 』で売られていた物で、若き日の、映画のプロデューサー 市倉久央 氏が
貯金をはたいて購入した物。当時、日本に3本しかなかったと言う希少品。
これだけでも映画になりそうな話しです。

いまだに、、、人差し指で一気に押さえるコード( F とか Bm ・・・とか )は、みんな、、
全然ダメな、私です。

追記 2023-07/07
今日は7日だやね、、、またひとつ、歳を取りました。
でも、そのおかげで、週明けに年金事務所へ行って、その手続きを。 そんな歳なんだぁ。
いつまでもらえるんかな? 払い込んだダケは取り戻したいが、、まぁ、それは無理か?

佐々部清 三宅裕司 真野響子 藤澤恵麻 AYAKO スリーキャンディーズ 金井勇太 中ノ森BAND

たいこめ辞典

たいこめ

7月 4日は 山本コウタロー さんの命日です。昨年 2022年、亡くなりました。
訃報を知った時 には、かなりショックでした。

走れコウタロー 』や『 岬めぐり 』となりますが、私は全く別の顔で楽しませてもらってました。

私の様な、昭和な深夜放送族にとっては
忘れる事が出来ない『 コウタローパック

恥のうわぬり 』『 たいこめ 』『 板さんの決定
 
この『 たいこめ辞典 』今見ると、くっだらないんだけと、気づくと読んでいる、笑っている。
コウタローさんが考えたネタじゃないけど、
すごいよ コウタローさん。

昔、受験勉強と言って、学校(中学)から帰ると一眠りして、みんなが寝る頃に起き出して、、
一風呂浴びて、メシ食って、始まります、、受験勉強、、、じゃなくて、深夜放送!

パックイン 』に『 セイヤング 』曜日ごとに不自由は有りませんでした。
天才・秀才・バカ 』もやってましたよね。

たぶん一番聞いていたのは 1974年 ~ 1975年 の冬あたりだったと思います。
長期間、聞いていた訳でもないのに、鮮明に覚えているのは、それだけ中学生にとっては
刺激的で面白かったと言う事でしょう。

50年近くも前の事。時代も、そう言う時代で、面白くて仕方ない、、、そんな時代でした。