岩舟町立小野寺中学校 校門周り

・1975年(S 50年)3月 私は『岩舟町立小野寺中学校』最後の卒業生。
・1975年 4月 ~ 1978年 3月 『岩舟町立岩舟中学校 小野寺分校舎』となる。
・1978年(S 53年)4月 全ての分校が新校舎へ移転、統合『小野寺分校舎』廃校。

順に行きますが、まずは『校門』周りからです。

ちょっと見ただけでは、昔(私が通っていた 1975年当時)と変わらない風景の様にも思えますが、当時には無かった紅白の車止めが設置されています。
他に校舎(跡)へ近づくためのルート、きちんとした道、は有りませんので、ここから先は徒歩で行く必要があります。

  右側の門柱には
 『岩舟町立小野寺中学校』 [:右右:] [:右右:]
在学中は毎日の様に見ていたハズですが、これを見た、見ていた記憶は有りません。

[:左左:] 左側には、目新しい看板。

下野新聞
とちぎ森づくり通信
プロジェクトの森


Google で検索してみると、
・・・・・『とちぎ森づくり通信
 更に発見・・・とちぎの森づくり(平成23年4月16日)
 更に発見・・・「下野新聞『とちぎ森づくり通信』プロジェクトの森」づくり
こんな事をやっていたとは、[:上上:] [:上上:]
地元に住む私は、初めて知りました。 [:ぎょぎょ:]
上のサイトには植樹している写真が有りますが、そこは、校庭だった場所です。
そして、昔と変わらず今でも残っているのは、校門左側の山道。 [:右右:]
ここを登ると、校舎入り口の下駄箱前へ直接行く事が出来ました、、、よ、ね!
チャリンコ通学の人は無理ですが、徒歩の私などは、ここがショートカットの通学路でした。
校門前に有った駄菓子屋(今は無い)へ通う時も、生徒にとってはここが公式通路でした。
学校が無くなって40年も経つのに、こんな山道が残っているのは、実はこの先にお墓が有り、そこへアクセスする唯一の道でもあるためと思われます。

[:左左:] 門を通過し、振り返って見ると、こんな景色が、、、妙に懐かしいです。
道路の向こう側、駄菓子屋の有る風景は今は有りませんが、この雰囲気は40年前の記憶と、珍しく一致します。
昔は、左右の覆い茂る木々、道路上の落ち葉は、これ程までには、有りませんでしたけどね。
ところで、、数日前、
校門の前を通ったら、いつもは施錠されている車止めがハズされていました。こんな風景は初めて見ました。 [:右右:]
まぁ、そのうちアップする他の写真を見てもわかりますが、今でも何らかの手は入っている様です。上に書いた『プロジェクトの森』の、一環でしょうか?
この『岩舟町立小野寺中学校』勿論、廃校で存在しませんが、『岩舟町(栃木県下都賀郡岩舟町)』も今は有りません。
参考・・・『岩舟町』 / 特撮の聖地『岩船山』 / 『岩船山クリフステージ
ブログ過去記事・・・ちょっと感動

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