月別アーカイブ: 5月 2022

FD3S メタリングオイルポンプ

エアフィルターを交換した事を書きましたが、その際に重要な発見が有りました。
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もう、2年くらい前の事ですが、
特定のチューニング ECU が原因でロータリーエンジンの圧縮が下がる 』かの様な話題がネットを騒がせた事が有りました。私の個人的な感情としては、その後どうなったかもわからず、モヤモヤ感だけが今でも ずぅ~~っと、続いています。

Asmic FD3S は、客観的に見て、使用する ECU の種類(純正/社外)に関係無く、圧縮が急激に下がっている現象が見られ、でも原因特定には至らず、取りあえずの対策として

ミクスチャーオイル 』を使い、プラグの熱価も下げました。
[ FD3S メタリングオイルFD3S 給油 + オイル添加 ]

その場対策は今でも継続中ですが、精神的にシンドイ(下がった数値は見たくない)ので、
圧縮測定はそれ以降、一度もやっていません。

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前置きが長くなりましたが、、、で、、、、最初の一文に戻ります。

発見したのは『 メタリングオイルポンプ( 以下 MOP )』付近からの オイルのニジミ
または、オイル漏れ と思われる現象です。

ホースやベルトの影になるので、普通にボンネットを開けたダケでは見えませんが、エアクリーナーボックスを丸ごと外した事で発見しました。

エンジンを載せ替え、MOP を含めて ほとんどの補機類も新品にして、それが、わずか数千キロ、丁度ナラシが終わった程度でこんな事になっているとは、流石に想定外です。

この『 載 せ 替 え た ば か り 』と言う思い込みが・・・・・
メタリングオイルの吹き出し口を洗浄する という『 RECHARGE 』の信じられない様な発想と技術を、Asmic FD3S には当てはまらない(詰まっているハズがない)と思わせ、思い込ませ、私を、原因がわからないと言う迷路に追い込みました。
(ここで言う 載せ替えたばかり とは時間的な経過でなく、走行距離です)

仮に、、、の話しですが、
この MOP の見える部分だけ、外観だけで、全てを判断するのは難しいですが、オイルまみれ自体が異常ですから、決められた量のオイルが供給されていなかったとしたら、Asmic FD3S の圧縮低下の原因の一つになる事は明らかです。

ただ MOP に不具合が有れば、何らかの、おかしいと思わせる症状が出る事も知られていますが、Asmic FD3S では何もその様な症状、現象は出ていません。普通に街乗りで走らせている限り、絶好調なのです。エラーも出ていません。

でも、気づかぬうちに MOP 関連に不具合が出ていれば、気づかぬうちに圧縮が落ちます。
Asmic FD3S の様に ECU が純正だろうが、社外だろうが、関係有りません。

今は、行きつけのディーラーで MOP を交換する話しを進めています。RE 専門店 的なショップも有りますが、昔から通っている、いつものマツダディーラーでやります。

作業はたぶん7月頃になると思います。これで圧縮低下が止まってくれれば良いですし、それを願っていますし、一連のツジツマが合う事にもなり、迷路から抜け出す事が出来ます。

MOP の不具合が多くなっていると聞きますが、作る事が出来なくなった FD3S 用 MOP の設計を変更してまでマツダが部品提供を続けているのが何よりの証拠でしょう。
そして、提供してくれる事に感謝です。

7月に、おかぁ~ちゃんデミオの車検が有り、同じタイミングで Asmic FD3S のオイル交換を予約していました。整備工場の空き具合など、色んな事を考慮してその時期に作業する事で進めています。なので、見積伝票に元々の予定だったオイル交換が有ります。

当然、バラす過程で、他に手を入れるべき部分が見つかれば、対処してもらいます。
元々の『 N3F1-14-600 』は、今は無く『 N3Y2-14-600 』に変わっています。
5月26日 現在、茨城に1個だけ有るとの事でしたが、それが無くなれば補充されると言ってました。

勝手な言い分
『今でもネット上に有る』と書いた映像ですが、ど素人の私が見た場合、排気ポートに蓄積したカーボンを巻き込み、引きずり、ハウジングに傷が付き、その傷はメタリングオイル供給穴を通過しても状態に変化が無いので、メタリングオイルの供給にも異常が有り、傷が大きく伸びて行った、、、
の、様に見えます。

排気ポート前、つまり燃焼室、ここにもっとチャタマークがはっきり付くのですが、光の加減なのか、私には綺麗に見えます。中央部がメタリングオイルの影響でもっとテカテカしていても良いとも思います。それが無いのはメタリングオイル不足?

プラグホール側(燃焼室)、プラグ穴周辺は黒くなって綺麗とは言いませんが、チャタマークも見えますが、でも、綺麗だと思います。
点火時期云々でエンジンが壊れてしまう様な制御(ECU)なら、もっと燃焼室側に痕跡が残っていても良いと思います。

排気ポート後方、つまりカーボンを引きずっている吸気部屋が一番ダメージ(傷)が有る様に見えます。。。素人ですから。
2年前、何も意見を書かなかったので、自分の MOP 記事を書いた、この機会に、感想を書いてみました。今さらですみません。

追記 2022-05/30
映像は、ノッキングでブローしたエンジンと言う事ではないのですね?
圧縮が下がったエンジンを開けた物なんですね。誤解してました。
今頃なぁ~~に言ってんだよぉ~、、になってしまい、すみません。

FD3S エアフィルター交換

Asmic FD3S のエアクリーナーは純正ですが、それ以前は『 AutoExe ラムエア 』でした。
純正に戻してから一度もフィルターを交換しておらず、既に 10年以上 経過しています。

今回交換時の走行距離 100,448 km
純正戻し時の走行距離 88,286 km
2011-11/05
使用走行距離 12,162 km
[:左左:] 10年以上 の使用ですが、綺麗です。
この面が汚れている様では困ります。

 向かって右が今回交換する新品 ・・・ N3A1-13-Z40

走行風を押し込んでいる 割には [:右右:]
吸気側も思ったより綺麗でした。
12,000 km ですし、1月の車検 の時に清掃されてから 170 km しか走らせていませんからね。 [:にひにひ:]
大丈夫じゃん!』っと、思ってしまったのですが、今ヤラネぇ~と、、、っと、
思い直し、たぶん、人生最後のフィルター交換を決行です。

この時点ではボックスのフタを開けたダケで交換していたのですが、フタを閉める時にシックリ来なくて、結局、フタを閉める作業はボックスを車から外して、キッチリやりました。
そうしないと、ボックス横のフックが割れてしまったり、フィルターのパッキンがフタに挟まってきちんと中に収まらない状態のまま、スキマが有る状態のままでフタが乗ったりと、良い事がありません。フタの開け閉めの時に、インタークーラーと干渉するんですよね。 [:ぷんぷん:]

ここはエンジンを良い状態に保つための基礎部分ですから、たまにしか作業しない私の様な素人は、楽をしてはいけません。
[:左左:] カラになった所は撮ったのですが、外したボックスを撮っていませんでした。
戻してから気づいて、、、
写真を撮る為だけにまた外すのもマヌケなので、撮ってません! [:あひあひ:]

パイプの取付、取外しは老体には過酷な作業なので何度もやりたくないのです。 だ よ ね !

エアフィルター(エアクリーナ)に関する『 取 説 』の記載です。 [:右右:]
今回は約 12,000 km でしたから、それ相応の汚れ方でしょうか?
もうチョイ、使えた事になりますが、それだけ ノーマルクリーナーは優秀 と言う事でもあります。

ノーマルクリーナーは優秀 』・・・当たり前ですが、
オーナーとしては、形や雑誌記事に流されず、若い頃から気づくべき重要な事でした。
ボックス内にこの純正フィルターが有っても、無くても、実馬力は変わらない 』と言う事がテストでわかっています。
純正フィルターは抵抗になる事無く、吸入エアーを綺麗にしてくれる優れ物で、これを社外品にしても意味は有りません。純正フィルターと同レベルでエアーを綺麗に出来なければ逆にデメリットになり、エンジンの寿命を縮める事にもなりかねません。
Asmic FD3S エアフィルター交換/洗浄記録

振り向き かずみ 17

いつまでも色あせる事なく・・・『 可愛かずみ Digital (可愛かずみ デジタル)
大好きな『 振り向き かずみNo.17

 
  『 アクションカメラ 1986年 1月号 』の
   グラビアからです。(昭和61年)

この号は雑誌本体を持っておらず、『 切り抜き 』を持っているだけです。
でも、紙の状態が悪かったり、切り方が雑だったりと、あまり良い状態ではありません。

やはり、閉じられた状態で保管されていた本を入手して、バラしてスキャンしないと、結果、綺麗にデジタル化するのは難しいです。だからと言って、新たに本を入手するまでの余裕も無く、素敵なグラビアだけに、残念です。

 
振り向き かずみ
 No.17
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
かずみさん 21歳の頃。

 ※画像にはロゴを入れたり、わざとサイズを小さくして掲載しています。
 傷や文字を消したり、つなぎ目を修正したり、技術と手間と、少しの愛情が必要となります。   
 著作権の有る画像を商用利用されるのは困りますので、この様な掲載方法にしています。
 転載、販売など、いかなる二次利用もご遠慮下さい。

FD3S ダクトの化粧直し

RECHARGE から『 Carbon Air Intake 』が出ていますが、私に関しては手が届きません。
壊れてしまえば別ですが、仮に、それだけの資金が有ったとすれば、現状では他のパーツ、特に電子パーツが廃番にならないうちに買い集める事に回すと思います。

っと、、、、、
苦し紛れを書いてみますが、やっぱり綺麗であって欲しいものです。
なので、化粧直しをしました。 [:右右:]
光の加減で分かり難いかも知れませんが、結構、行けてます、、っと、言う事にして下さい。
 ・N3G1-13-201

自己満足とも言いますが、それでOKです。 [:にひにひ:]

前に、ワイパーアームのメンテナンスをアップしましたが、時期的にはそれと同じ頃にやってます。
ネタとして、しまっておいたら書くのを忘れちゃいました。年寄りの悲しい性です。
三歩、歩く前に忘れます。

こ れ と こ れ で 、吸気温度もギンギンに低いですよ! どぉ~ですか、お客さん!!

今日も見ます『ローマの休日』


ローマの休日
久しぶりですが、モノクロですが、新吹き替え版らしいですが、必ず見ます。

聞いた事は有るけど、、見た事 ね ぇ ~ な ぁ ~ 、、、って人は見てください! [:にひにひ:]
 ・また、見ちゃったよぉ~
追記 2022-05/13
DVDBlu-ray も持っていますが、今回は2年ぶりくらいに見ました。カットされているシーンが点在し、少しばかり消化不良でしたが、いつ見てもオードリーは美しい。
あたりまえか・・・。
[:にひにひ:]
追記 2022-05/16
明日 17日、13:00 ~ オードリーが天使役の『 Always 』が NHK-BS で有るんですね。
オードリーの遺作です。勿論、DVD で何度も見てます。
スピルバーグとオードリーの出逢い、、、これだけでも映画になりそうです。

とっこちゃんに逢いたい 38

季節はずれの海岸物語とっこちゃん、つながり、、、

 5月 9日、とっこちゃんに逢いたい。
 今年もまた、この日が来ました。可愛かずみ さんの命日です。

テレビ番組雑誌の記事からです。切り抜きだけしか持っていないので、どんな雑誌なのか、詳細は不明です。

5月16日が月曜日になる年、
更に『 志村けんのだいじょうぶだぁ 』が放送されていた年を重ねると、1988年( 昭和61年 )だったことがわかりました。

1988年、、、
1月に『 季節はずれの海岸物語(新春特番)』が有り、
8月には第2作の放送が有った年です。

1988年 、、、10月には写真集
おひさしぶり Long time no see! 』が出た年でも有ります。

この頃は『 ドリフ大爆笑 』などにも出演している様ですが、リアルタイムで見た覚えは全く有りません。忙しかった頃で、残業時間なんて常習的に 200時間近かったですし( 全部付ける事が出来れば給料も良かった?)、毎日が終電で、家に居るのは5~6時間、テレビを見る事自体が有りませんでした。

そんな、てきとぉ~な、サラリーマン時代でした。昔は、みんなそぉ~だったよね!        
でも、今でもやっぱり - とっこちゃんに逢いたい - なのです。

週刊現代 未公開カット 02

いつまでも色あせる事なく・・・『 可愛かずみ Digital (可愛かずみ デジタル)
etc….. No.02 『 週刊現代未公開カット No.02

週刊現代 2012年 8月18・25日合併号 』からで、
なぜ『 2012年 8月 』に突然掲載されたかなどの詳細はわかりません。

記事タイトルは『 伝説になったアイドル 』です。

未公開カット発掘 』とも記されており、
5ページ、5カットの写真が掲載されています。

以前はその中で2カットが未公開と書きましたが、もしかしたら4カットが未公開だったのかも知れません。結局、公開された写真の全てを見ている訳では有りませんので、正直、わからんと言う事です。ただ、1カットだけは『 GORO 1983年 5月26日号 』に掲載されている物と全く同じでした。(撮影は『 ふり向かないで 』の 小沢忠恭 氏)

週刊現代未公開カット No.02


写真集『 ふり向かないで 』に同じ衣装での別カットが有ります。
週刊現代の記事には 1983年 4月 にサイパンで撮られたと記載が有ります。

掲載は縮小サイズ) 


  いつもの通り、壁紙用に再編集して
  1920 × 1080 にするとこんな感じになります。

 ・振り向き かずみ 04 /『 週刊現代 』未公開カット No.01
 ・とっこちゃんに逢いたい 2

※画像にはロゴを入れたり、わざとサイズを小さくして掲載しています。
 傷や文字を消したり、つなぎ目を修正したり、技術と手間と、少しの愛情が必要となります。
 著作権の有る画像を商用利用されるのは困りますので、この様な掲載方法にしています。
 転載、販売など、いかなる二次利用もご遠慮下さい。

第1作 出発/原点

第01作(涙の Seaside Cafe Terrace)/ 石野 真子(1988年 1月1日)

季節はずれの海岸物語』重箱の隅つつき。懲りずに隅を、つつきます。
全シリーズの最初の放送は 1988年 1月1日 深夜( 23:45 ~ 25:15 )でした。

私は残念ながら、、、たぶん、リアルタイムでは見ていません。

前回の書き込み『 スペシャルゲスト 』の時に『 びんびんシリーズ 』に掛けて、と、書きましたが、
当時 CX で これらのドラマに共に関係していたのは『 亀山 千広 』氏です。

第1作 台本からスタッフ一覧を抜き出してみました。

どうして『 D3 Company となる訳ですが、休む事無く放送が続く年末年始のドタバタ時期、その深夜帯、あまり金も掛けられない、、、っと、
なると・・・・

当時、深夜枠のテレビ番組では
オールナイトフジ 』の仕掛け人でもあり、
他局も含め多くの実績が有る
新井義春 』となったのでしょうか?


彼と一緒に『 Triangle Blue 』も手掛けていた『 秋元 康 』氏、更に『 遠藤 察男 』氏、出演者では『 鶴太郎 』さん( オールナイトフジ )や、『 かずみ 』さん( Triangle Blue )が起用されているのも自然な流れなのかも知れません。

第1作の都内ロケ地の多くは、まんま Triangle Blue と同じですし、経費最小限ですよね。
今となっては、すげぇ~~なぁ、って言う面々ですが、みんな若くて我武者羅に頑張っていた時代、
そこが『 季節はずれの海岸物語 』の原点です。もう 35年 も前の事です。

 ・新井義春 Digital新井義春 デジタル