FD3S ノーマル ECU へ

パソコンのすったもんだは有りましたが、HDD をリカバリするのはとぉ~っても時間が掛かります。その間に Asmic FD3SECU をノーマルに交換する作業も並行してやってました。
コンプレッション急激低下の原因がどこに有るのか、全くわかりません。
普通なら補機類などの劣化を疑うのでしょうが、エンジンを載せ替えた時に、これは・・・っと
思う物はだいたい交換してありましたので、『バラシテ確認する』 が簡単に出来ない素人には
他にやってみる』の選択肢がもうこれしか残っていません。
それと、やはりこれを客観的に見て自分で出した答えの一つでもあります。 [:下下:]
Asmic FD3S 燃費記録
Asmic FD3S コンプレッション測定記録
で、、何かしら変化が有れば、中村さんに相談してみたいと思います。
近ければ直に見てもらう事も出来ますが、栃木からでは気軽に行ける距離でもありませんし、『試してみる』のも相談材料の一つとして有りかなと。

10年ぶりに通電する事になった ノーマル ECU 、ドキドキしながらもキーをひねると、瞬時にエンジン始動です。正直、ビックリしました。
クール対策 も良い感じの様です。
数分アイドリングをするダケでも暖かくなっていた ECU の筐体は、直に触れた感じでは温度変化も無く、全く暖かくなっていませんでした。熱をうまく分散させている様です。
もう一つやってみたいのは V-Power の復活。
これは既に6年くらい前から使っていたのですが、あまりにも給油しない期間が有りまして、2年で 400 km しか乗らず、高額チャージ済みプリペイドカードの有効期限を切らしてしまいました。自分的にはかなりショックで、それ以降、おかぁ~ちゃんのカード(他社スタンド)を使っているので V-Power を入れていません。
EcoCpu10 kg/cm2 近くまで上がった圧縮(なので補機類に問題は無い?)が、
保持期間も無く EcoCpu-V で、たった 5,000 km 程度でこれ程に落ちるのはおかしいです。
街乗りのみ、しかもナラシ走行 10,000 km でシールが摩耗する事も考えられないので、、、
でも、一度に長距離(200 km 以上)走らせるのは、しんどくて、、、出来ないかなぁ~?
追記 2020-04/25
ECU 交換、試走後、ダイアグチェックもしましたが、エラー無しでした。

しばらくダメかも?

本日(23日)昼頃に、メインPC ノートの HDD に不具合が起きた様で
ノート PC が立ち上がらなくなりました。
現在はバックアップから新しい HDD に修復し、立ち上がる様になりましたが、
本来 50 秒 程度で立ち上がっていた Windows の立ち上げに 分 くらい時間が掛かり
今ひとつ動作が安定しません。
何とかここに書き込みは出来た様ですが、これから少しイジリたいと思っています。
必要なら再度 HDD を変えるとか・・・?
なので、あえてメールソフトは立ち上げず、メールサーバーにアクセスしません。
HDD がどうなるかわからないので、取り込んだメールを失うかもしれないからです。
うまく復旧出来るかわかりませんが、それまでメール連絡などの対応が出来ませんので
申し訳ありませんがご了承ください。
も う ~ ~ ~ 泣 き そ う ! ! !
追記 2020-04/25
イジッてみましたが、起動時間は5分くらいのままで、今の所は何ともならない様です。
立ち上がらなくなった時に、まずやったのは作ってあった Windows10 インストールディスク を使っての修復ですが、途中でフリーズしたりと、これはうまく行きませんでした。
[:下下:]

結局うまく行ったのは、ドライブ全体のバックアップを未使用 HDD にリストアすると言う、定番の方法でした。 [:右右:]
でも、、起動時間が・・・。
取りあえず復活したし、起動さえうまく行けば普通に使えるし、まっ、、良いか?

FD3S ノーマル ECU クール対策

ヒートシンクが届いたので、交換前に Asmic FD3S のノーマル ECU にもクール対策です。

中に手を入れるなんぞ、厳禁です。
が、、、
一番発熱するパワートランジスタの熱対策です。壊したら大変なので絶対に真似しないでください。

緩まないように細工してありますが、仮にネジが緩んでも、絶対に外れる事はありません。
銅板ヒートシンクも絶対に外れる事はありません。例えネジが無くてもです。 [:にひにひ:]
 <追記> 取り外す事が出来ない、と言う意味ではありません。
雲行きが怪しくなって来ましたので、屋外での作業が出来ません。交換は明日以降にします。

FD3S 中村屋 DTS ダイアグエラー

前回書いた通り、ECU をノーマルにする準備をしているのですが、その前にダイアグチェックをしてみました。

すると、、今まで見た事が無いコードを吐き出しました。
1218
共にスロットルセンサー系のエラーです。
でも、、
このエラーが出た/拾った タイミングが
わかりません。
電圧調整時に割り込み配線を入れてますので、それを断線などとして拾ったものと考えますが、
そんな変な事はしていないと・・・・。 調整後に普通に走っていると思うのだが?
まぁ、、ECU を交換する際にバッテリーを外して完全にリセットしますので、、って言うか、
ECU を変えますので、それでも拾うか、確認すればわかりますね。
前回のダイアグチェックは 車検前の頃だった のでスロットルセンサーは純正で、その他も含めエラーは何も出ませんでした。

FD3S プラグ交換/98,971 km

コンプレッションを測定した際に、プラグを交換しました。前回も同じ様にコンプレッションを測定した際に交換していますので、このプラグでの走行距離は 2,800 km です。


車検の時 にチェックされているハズなので、それからは 100 km 位しか走行しておらず、
まぁ、これでも綺麗かな。
コンプレッション低下の原因探しをしようと思いますが、次に出来る事、やってみる事は
ECU をノーマルにする事くらいでしょうか?
前にも書きましたが、エンジンを載せ替えた時に大まかな補機類は新品にしていますし、
中村さんに何とかしてぇ~ って言っても、車を見られる訳じゃないし、提供出来るデータが少なすぎますので、ECU をノーマルに戻した状態で何かしらの変化が出るのか、有るのか、調べようと思います。最近は2年間で 400 km しか走らせていなかったので時間が掛かるかな?
ノーマル ECU 用にヒートシンクを注文したので、届いたら クール対策 をして交換します。
Asmic FD3S プラグ交換記録 / カテゴリー 『FD3S プラグ/点火系
追記 2020-04/20
色々と記録を辿っています。今までそう言う見方をした事が無かったのですが、客観的に全体をながめると何かが見えるかも知れません。
 ・Asmic FD3S 燃費記録
 ・Asmic FD3S コンプレッション測定記録

コンプレッション/10,685km

前回の測定が 2015年12月30日 だったので約4年半ぶりくらいです。
エンジンを載せ替えてからのコンプレッションは既に頂点を過ぎたので、後は下がって行くだけですから、あまり測定したくなかったと言うのも有ります。
 EcoCpu での走行距離 9,541 km (そのうち EcoCpu-V 6,114 km)
 全走行距離 98,971 km / エンジン乗せ換え後 10,685 km


今までも前側が低い傾向だったのですが、差が大きくなっている様に感じます。
FD3S エンジン圧縮』カテゴリー表示にして今までの数値と比較してみると良くわかります。

絶対値は下がっていますが、F/R共に三室が同じ様に、綺麗に揃っている事は安心材料なのですが、複雑な心境です。
三室が揃っているのは以前から有る傾向です。
前回測定時から時間経過はそこそこ有りますが
走行距離的には約 2,800 km しかないので、
下がりすぎ??って言う気もします。

Asmic FD3S コンプレッション測定記録』に前のエンジンでの測定記録も有りますので、
それと比較すると急激に落ちているのがわかります。
『乗り方』が今と全く異なると言うのは有りますが、、、さて、、どう考える??
追記 2020-04/17
前のエンジン(新車時搭載)では、かなりのサーキット走行有り、かなりの高速移動有りで、
それでも全走行 6 ~ 70,000 km 位までは 9.0 kg/cm2 近い数値でした。

マフラーは新車納入時より『MAZDASPEED Sports Sound Muffler Type-2』で、
ノーマルマフラーは使った事が無く、、、その他ノーマルでした。
まぁ、、いろんな過去が有りますが、エンジンを載せ替えた際に、補機類もかなり新品にしているのですが、その当時、あまり知られていなかった ACVバルブ は交換していませんでした。
その後、部品は確保しましたが未交換です。コンプレッション低下の原因として唯一気になるのですが、生きることで精一杯、今は交換したくても工賃を出せない。
追記 2020-04/17

まずは出来る事から・・・ACV 簡易点検
ACV からエアクリーナーへの戻りホース内をチェックです。
エアクリボックスからホースを外す事が第一難関ですが、中は全く汚れていませんでした。

ホース内を指先でグリグリッと拭っても全然綺麗でした。
嬉しいやら、『ここだぁ~』っと言う痕跡すら無かった事が残念やら・・。

FD3S 中村屋 DTS 電圧調整

ノーマルセンサーから 『中村屋 DTS』に交換した直後、調整前のナロー・レンジ側電圧は
0.853 V でした。 [:下下:]

その後、最初に調整して設定した電圧は 0.921 V でした。 [:上上:]
その当たりのブログは・・・・・・・FD3S 中村屋 DTS 取付
その後の感想などが・・・・・・・・FD3S 中村屋 DTS その後

今日は、
その電圧を調整したと言うお話です。
電圧をイジる前に、0.921 V に設定した前回の電圧が変化していないか、念のためチェックしました。
[:左左:] 0.938 Vですから変化していないと言う判断で問題無いです。


少し下げてみました。
0.87 ~ 0.88 V くらいをねらっていたのですが、固定したらこうなったので、
[:左左:] ま、、良いっか、、と言う事で。
最初の『良くわかんねぇ。』と思った所にほんのチョット近づけてみようかと。

純正ノーマルセンサーでも電圧を調整する事で車の『 』が変わる事はわかっていますので、
0.75 ~ 1.25 V の設定範囲内であれば問題無いのでしょうが、この『デジタルセンサー』は
FD3S 開発当時からすれば想定範囲外、未知の世界の部品です。
なので、純正ノーマルセンサーに近いと、自分が思った範囲へ近づけてみただけです。私に限っては、純正ノーマルセンサー以上の 高性能を求めている訳ではありません。でも、色んな意味で高性能なのは嬉しい限りです。
純正も含め、本来そう言う目的の部品じゃないので、変える事によって『車の性能』が変わるとも思っていません。実際どうなのよ??、、は、これからわかって来る事じゃないですか?
次にやりたいのは、EcoCpu-VHispeed ROM 化と、それを依頼している間の
ノーマル ECU + デジタルセンサー での、ちょと乗り回し。

異人たちとの夏 3

季節はずれの海岸物語』 鶴太郎さん つながり・・・・                     

異 人 た ち と の 夏
 公開: 1988年 9月

 時は、確実に流れます。
 ・片岡鶴太郎 オフィシャルブログ「鶴日和」/ 大林宜彦監督

 ブログ・プレイバック
  ・異人たちとの夏
  ・異人たちとの夏 2

FD3S 中村屋 DTS その後


中村屋 DTS』への交換直後は
(ナロー・レンジ電圧確認前/設定前)
 走った距離が少ない [ 10 km ]
 平地を一回り
その程度だった為か、特に変化らしきものは感じる事が出来なかったのですが、
普段は Asmic Jimny で出かける近場でも意識して 乗り回してみました。

と、言っても交換後 45 km しか走っていませんが、な ぁ ~ ~ ん か 変 ? って言うか、
変 わ っ た ? みたいな事が有りました。
・ ア イ ド リ ン グ
信号などで止まれば、こんな感じで負圧計やタコメーターが張り付いた様にピタリと止まり、全く振れないのです。
ノーマルセンサーは新品交換後
10,000 km ほど 使っていた物でしたが、こんな事は経験していません。
センサーを交換したからか、ECU をリセットした効果で、今だけの現象なのか、、
わかりません。
・ キ ビ キ ビ 走 る
表現が難しいのですが、キ ビ キ ビ 走 る 様 な 感 じ と言うか・・・。
これって、言い換えるとアクセル操作に追従するのが速くなったと言う事なんでしょうか?
車が速くなった、スピードが出る、、って言うんじゃなく、キ ビ キ ビ なんですよ。 [:ぎょぎょ:]
あとは、、
車庫入れなどの際、ちょこっと踏み込んだ時のマフラーからの『パンパン』が激減しました。
これはノーマル ECU から EcoCpu に変えた時なども同じ事が起きました。リセット効果なら
『パンパン』は次第に増えて来るハズです。
ナロー・レンジ側電圧は最初に設定した(0.921 V)ままで、全くイジッていませんし、再確認もしていません。

Chevron B16 Mazda


このシリーズ ではもう1台だけ欲しいと、随分と前に書いたモデルをやっと手に入れました。
Porsche 917K 』と同様に欲しかった物で、最初の予定では去年の5月頃に出るハズだったのですが、なぜか伸びて、伸びて、更に伸びて、やっと出て来ました。


Chevron B16 Mazda (10A) 』
1970年の ル・マン 出場車です。
初めてロータリーエンジンが出場し、
それは初めて日本製のエンジンが出場したレースでもありました。
その後、常勝することになるポルシェが出場 20年目にして初めて優勝した年でもありました。

このレースでは翌年 1971年公開の『 栄光のル・マン 』が撮影されるなど、いろんな事が同時に起こっていた事になります。
日本のチーム(プライベートチーム / SIGMA MC73 Mazda 12A )が初めて ル・マン に出場したのは3年後、1973年です。マツダとしては 1974年、ディーラーのマツダオート東京(後の MAZDASPEED)からが、初の参戦となりました。
だ か ら 、 欲 し く て た ま ら な い 1 台 な の で あ り ま し た 。
24 Heures Du Mans 1970